藤田:
唐突ですけど、いま僕が「LPレコードの一辺の長さは一尺だら」って言ったら
皆わらいますよね。
○あはは。確かに唐突ですね。
藤田:
まず「30センチ」を「一尺」って言って、「〜でしょ」を「〜だら」って
言うから違和感があるんですよね。
つまり国がさだめた物差しとか標準語からズレている。
でも、もし長さを示す単位が明治からの「一尺一寸」がいまだに基準となっていて、
(建物の話をする時は実際一間なんて言いますね)
静岡弁が標準語に制定されていたとする。
テレビドラマなんかでも「明日は晴れだら」なんて喋っていたら、
「一尺だら」がまともな言い回しとして受け入れられる訳ですよね。
○はあ。そうなるんですね…きっと。
藤田:
つまり。
長さや重さを表す単位とか言葉も、
国が定めた基準にそぐわないものは「変!」とされる。
ここで「マインドコントロール」とか「洗脳」なんて
物騒な言葉を持ち出す気はないけど、
一種のマインドセットがなされている……。(笑)
色んなものの価値基準。
例えば美意識みたいなものも、こういうマインドセットとか教育に
かなり左右されると思うんですよ。
だから、教育のトップに位置する政治が大きくモノを言う。
実は昔から「美術と政治」の間にも切っては切れない関係があるんじゃないかと。
さて、ここに「茶道と天下統一」っていう本があるんだけど。
「武術と天下統一」ならなんら不思議はないけど、
一見感覚的 で女性的な感じをうける「茶道(茶の湯)」と
「天下統一(政治)」にどんな関係があるのか?
○ああ、そういえばずっと「武家茶道」を続けている友人がいます!
藤田:
うん、この本もまたとても興味深いんですが、
エピローグの「権力と芸術」でも描かれている内容を少し例にとりましょう。
「ダヴィンチ・コード」のネタにもなった宗教裁判の話から、
権力者から逃れ、亡命した芸術家の例を上げたらきりがないんだけど…
なかでもとりわけ過激なのが、ナチ政権が絵画や彫刻を
良い美術=「大ドイツ芸術」と悪い美術=「退廃芸術」と
おおまかに二分して国民の前に曝した政策。
○ヒトラーは芸術に強い思い入れがあったのですものね。
それにしてもその分けかたはあんまりですね。
藤田:
具体的に言うとね。
ナチスはフリードリッヒとかルンゲ、 ベックリンみたいな
ロマン主義的な写実スタイルを良い美術のお手本として奨励して
「大ドイツ芸術展」なるものを開催したの。

「聖堂のある冬景色」C・D・フリードリヒ
で、逆にゴッホとかカンディンスキー、ココシュカみたいな
どちらかと言うと当時前衛的と思われていたものを
堕落した悪い芸術の見本として「退廃芸術展」を開催して国民の前
に曝しものにしたわけ。

「黄 赤 青」カンディンスキー
○いまでは多くの人に知られ人気のある作家たちですよね。
藤田:
ま、そこまでは政治がここまで美術に口をだすのはかなわなんなあ、
いかがなものかって感じなんだけど。
○芸術をやっていて晒しものにされるって、すごい社会ですね。
藤田:
で、第二次世界大戦の結果は、ご承知のようにアメリカやフランスが勝利し
ドイツ・ナチ政権は大敗したわけですよね。
するとナチが推奨したロマン主義的な写実スタイルは歴史の中で影を潜め、
逆に当時ドイツで退廃とみなされ国外に放出されたいわゆる近代絵画が
戦後アメリカを中心に王道と見なされるわけです。
○なるほど!
藤田:
そんな影響もあって、僕達日本人は印象派とかピカソとかマチスなんかに
親しんで来た訳だけど。
ただ、そこで問題なのはフリードリッヒとかルンゲみたいに
本来上質な美術なのにナチスに推奨されたばかりに、
なにか悪いイメージを植え付けられてしまった美術って
不運で浮かばれないですよね。
彼等には何の罪もないんだもん。
○そういう意味では藤田嗣治も同じですね。
藤田:
そうね、藤田嗣治の場合でいうと。
単身パリに渡って、精進して認められたんだけど、
フランスと日本が敵対関係になっちゃったわけだから、
フランスには居られなくなり日本に帰ってきた。
すると当時一番腕の立つ画家であったわけだから、
戦争を賛美する「戦争画」を描いてください、と依頼されるわけです。
南方で戦う兵士の絵とか。
仕事ということなんだからお国の為に描いたんですよね。

「サイパン島同胞臣節を全うす」藤田嗣治
でも戦争で負けてしまえば途端に「戦争協力」となり、
批判が起こってA級戦犯扱いまでされてしまう。
○フリードリヒと同じく、戦争に巻き込まれた作家であると。
藤田:
そうね。それで日本にはいられないから、
「早く日本の美術も国際レベルになって下さい」なんて
捨て台詞をのこして(笑)フランスに帰化したんですね。
○その心境を思うと…胸が痛みます。
そういえばウフィツィ美術館でもナチスに略奪された後に戻ってきた絵とか
たくさん観ました。
藤田:
そう。だから理解してほしい。
芸術もけっこう政治に影響を受けてるってことを。
もしも、日本とドイツとイタリアが戦争に勝ってたら、今とは全然
違う価値観になっていたかもね…。
○はい。
藤田:
政治におけるパワーバランスによって影響されたアートの価値観が
ずっといまに続いているんですね。
話は変わるけどSF小説に「歴史IFもの」ってのがあるんですよ。
「もしもあの時の歴史が逆の結果になっていたら」っていう。
「ブレードランナー」の原作でも知られる
作家フィリップ・ K・デイックの「高い城の男」ってのがあるんだけど、
現実と真逆な世界、つまり日本とドイツが第二次世界大戦に勝利して
アメリカを二分している世界を描いたSF小説なんだけどね……。
○お、おもしろそう!!
藤田:
僕らがロックとかポップアートに憧れたように、
アメリカ人が茶室を作って掛け軸なんか眺めているところを想像すると
面白い(笑)
○日本中にスターバックスやマクドナルドが広まった変わりに、
寿司とお茶のチェーン店がアメリカ中にできていたかも。
切れ長の目やメリハリのない柳腰が美しいと羨ましがられたり(笑)
藤田:
そうね。
で、突然なんですが、例えば僕がお茶の先生でさあ、
今から抹茶を点てるんだけど、その辺のゴミ捨て場から拾ってきたような
欠けた茶碗であなたにお茶を出したとするわけ…。
○あのーー、ちゃんと洗っていただけますでしょうか。
藤田:
その当惑した顔を見て、一言いうわけ。
「これぞ利休の言うところの詫び(侘び)て錆び(寂び)た景色です」と…。
○うわ、途端に納得させられちゃったりして。
藤田:
これぞ「洗脳利休」。なんちゃって。
○結構なお手前でございました。(笑)
—— つづく